トップページ >> 名物板さん
昭和27年9月17日生まれ 岩手県出身 A型
埼玉県鴻巣調理師専門学校卒業後、埼玉県熊谷市の末広寿司勤務、岩手県一ノ瀬市『和風レストラン角屋』、同県花巻市『やぶ屋』、盛岡市『三寿司』を経て、 昭和55年10月東京築地寿司岩入社。 盛岡店、ニューヨーク店、築地支店、デトロイト店、築地本館、日本橋店各店の店長を歴任後、エリアマネジャーから総調理長兼営業推進第二部長となる。
小さい頃、一番大好きな食べ物が寿司であり、大きくなったら毎日食べたいと思い寿司職人になりました。
寿司への拘りは、昔からの伝統を大切にする事。
細工ずし(季節の花、巻物)、葉蘭切り、創作寿司が得意。
佐藤調理長は*四條流正師範『柏嶺』の別名を持っている。四條流とは、宮中において天皇陛下の御前に披露される『包丁儀式』を司る正統派の師範である。日本にはこの正師範は40数名しか登録されておらず、亡くなった方を除くと現在包丁儀式を司れる正師範は20数名と言われている。特に寿司職人では柏嶺こと当社の佐藤照男調理長ただ一人(世界で一人)である。
休日は、四條流の稽古と寿司の本を読むか絵を書いています。(達筆であり、絵の才能も素晴らしい方です。)
寿司岩は、昔からの仕込を守り、現代風の仕込み有り、遣りやすい職場と若い店長が増えている会社です。その職場の方々からの佐藤調理長の評判はというと、昔は頑固親父と呼ばれる板前だったそうですが、今は若者に押され気味だとか・・・。(真面目であり親しみやすい人柄)
*四條流庖丁儀式(しじょうりゅうほうちょうぎしき)
今からおよそ千百年余り昔のこと、料理に深い造詣を持たれた時の五十八代光孝天皇は、自らの命により様々な料理をまとめ、後世に伝えたとされるのが四條流の祖といわれる四條中納言藤原朝臣山陰卿でした。 烏帽子、直垂をまとい、庖丁とまな箸を用い、材料に一切手を触れることなく、鯉、真鯛、真魚鰹などを調理する「庖丁儀式」は、光孝天皇の時代(平安時代)から朝廷を始め、貴族社会の人々により、宮中行事の一つとして行われてきました。 古式に則った所作とその庖丁さばきは、日本王朝時代の古典文化生活の一表情と日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式です。
昭和41年8月1日生まれ 埼玉県出身 B型
昭和58年5月 寿司岩入社。築地総本店にて修業する。 平成元年より築地支店へ。 平成6年より築地西店の店長になる。 平成11年より草加丸井店の店長、 平成13年より清水ドリームプラザ店長を歴任し、 平成15年5月寿司岩 板長就任。 10月からは本石町店の店長を兼務。
板長の寿司へのこだわりは、『清潔であること』『シャリ命』『ネタは最低30種類は揃えている(旬のもの含めて)』。
齊藤板長の自信作は穴子とコハダ。築地寿司岩総本店で修行を積み、80有余年の伝統を引き継ぐ寿司職人です。
『お客様が食事して料金を払った後に振り返って「ご馳走様でした」と言われるような商売を心掛けている。』そうです。
体格がよい板長なのでカウンターに立つ姿は貫禄があります。その大きな手から造りだされる寿司は、繊細で寿司岩の伝統は勿論、齊藤板長の優しい人柄を感じさせてくれる握りであり、心意気を感じます。
齊藤板長からみた寿司岩は、最高の食材をふんだんに使った仕事をさせて戴ける店であり、先輩、後輩の縦のつながり、横のつながり(同僚でもあり友達でもある)に幅のある。色々な人の出逢いがあり吸収できる。個人店では経験できない良さがある。
趣味はなく・・・仕事? 休日は家族サービス(妻1人・子1人)